絵
黒田征太郎
1939年 大阪・道頓堀に生まれる。
1945年 疎開先の滋賀県で終戦を迎える。
1955年 高校を 1年で退学、船員として米軍の揚陸艦に乗り込み
1年半の間にプサン、マニラ、ハイフォン、サイゴンなどを航行。
1967年 北米を放浪。
1968年 野坂昭如と出会う。装画や挿絵を担当していく。
1969年 長友啓典と共にデザイン事務所「K2」を設立。
1992年 ニューヨークにアトリエを構え、国内外で活動する。
1994年 「野坂昭如 戦争童話集~忘れてはイケナイ物語り~」プロジェクト開始。
2004年 PIKADONプロジェクト開始。
2009年 拠点を北九州市門司区に移す。
現在も絵画、絵本、ライブペインティング等、精力的な制作を続けている。
構成・演出
藤村信一
1953年、福岡県久留米市に生まれる。 学生時代、劇作家大久保昌一郎率いる「劇団人生劇場」所属。所謂アングラ・小劇場を中心に演劇活動を開始。
1977〜81年、劇団四季にて活動。「ウエストサイド物語」「二人のロッテ」「エクウス」「コーラスライン」「エビータ」など担当。
以降フリーとしてプロデュース公演、新劇、ミュージカル、海外来日オペラ・バレー、ファッションショー、舞踏など舞台監督・脚本・演出部として活動。
〈新劇関係〉文学座:「オセロ」「ウエストサイドワルツ」、青年座:「金閣寺炎上」、前進座:「講談本牧亭」「魚屋宗五郎」、手織座「楢山節考」、文学座「三婆」、こまつ座「きらめく星座」、無名塾「マクベス」等。
〈ミュージカル関係〉東宝「マイフェアレディ」「ガイズアンドドールズ」「ラカージュオフォール」、劇団四季「コーラスライン」「ウエストサイドストーリー」、セゾン劇場「あずら」、博品館「リトルショップオブホラーズ」等。
〈来日オペラ・バレー〉ベルリン国立歌劇場「ドン・ジョバンニ」「コシファントッテ」「魔笛」、ウィーンフォルクスオパー「こうもり」「ウィーン気質(かたぎ)」、ボリショイバレー「白鳥の湖」「くるみ割り人形」、ローランプティバレー「ノートルダムのせむし男」、ミラノスカラ座「シモンボッカネグラ」「セビリアの理髪師」、ロイヤルオペラ「ピーターグライムス」、メトロポリタンオペラ「トゥーランドット」、スウェーデン国立バレー団「ジゼル」など。
以上の仕事をしながら、1986〜91年、松竹・猿之助プロデュースに参加。スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を立ち上げる。
1992年から東宝演出部に所属。「横浜物語」(加賀まりこ)、「隅田川暮色」(十朱幸代)「芝桜」(浜木綿子)「津和野の女」(佐久間良子)などの商業演劇や、三宅一生ファッションショー"Fly with Issay Miyake”、山本寛斎ファッションショ「激流」、暗黒舞踏大駱駝艦 麿赤兒、宇野萬舞踏公演“21000海里の舞踏会”などを担当。
また、1970年代から始まったサーカスの世界における革命的な変化に誘われて、シルク・ド・ソレイユの演出家ギー・カロンと西田敬一プロデュースサーカス“メルベイユ”を宝塚ファミリーランドで創作に参加。
35歳頃からフジテレビ制作のファミリーミュージカルの脚本・演出を担当。
〈脚本・演出作品〉「母をたずねて三千里」「私とわたし(ふたりのロッテ)」「アルプスの少女ハイジ」「有楽町で逢いましょう」「スケッチ・オブ・ペイン」「GOMI」「腰不安除産後大切」など。
1999年宝塚歌劇団の通年東京公演を実現するための実験劇場“1000day's劇場"開場。舞台監督として就任。3年後に新たに建て替えられた東京宝塚劇場の舞台監督に就任。1999〜2003年までの宝塚大劇場の全作品を東京宝塚劇場舞台監督として担当。
2004年、福岡県に帰省。Jazz Inn Dolphysを開店(太宰府市)。
2009年、“中州ジャズ”立ち上げにアドバイザーとして参加。
朗読
リュンコ
1953年西宮市出身。
高校卒業後、「演劇センター付属青山杉作俳優養成所」を経て、1975年、山川三太率いる「劇団究竟頂・銀テント」旗揚げに参加。
退団後、1996年和食「博多うまか遊び庵」開店。
黒田征太郎さんのトークイベントをきっかけに、野坂昭如さんの戦争童話集を語り続けたいと居ても立ってもいられなくなる。
野坂昭如さん、黒田征太郎さんの言葉をお借りし「『イノチノコト、忘れてはいけない物語』実行委員会」と名づけ、演出家、俳優、ジャズミュージシャン、舞台技術者、制作者などに呼びかけ本朗読劇を実施。
朗読
松元純次
大学3年時に劇団四季入団という珍しい形で演劇界に入り、その後『コーラスライン』で初舞台を踏み、、『ジーザスクライストスーパースター』、『ウエストサイドストーリー』等と同時に、命の尊さ、希望の大切さを唄う子ども向けミュージカル作品にも多數出演を重ね、その中で障がい者を含む子ども達の反応に感銘を受け、現在は障がい者就労継続支援事業に携わり、その子達を見守り成長を促す活動に携わっている。
朗読
五島真澄(PUYEY)
1991年生まれ。俳優、パフォーマー。日系アメリカ人の母と 広島出身の父の間に生まれる。2016年に演出家・俳優の高野桂子と演劇的パフォーマンスユニット「PUYEY(ぷいえい)」を結成し俳優のほか美術と音楽も担当。「上演する空 間、観客の年齢や国籍にかかわらず、観たらちょっぴり生きやすくなる演劇的な作品」を目指して活動中。ツアー公演や実験的作品の発表、子どもを対象とした演劇事業への参加等も積極的に実施している。
主な外部出演に北九州芸術劇場プロデュース「せなに泣く」、宮崎県立芸術劇場プロデュース「幻視〜神の住む町」等。東京芸術祭ファーム2021YFF修了生。
※この度、出演者体調不良のため、代役での公演実施となりました。(8/6更新)
代役:元一(劇団サンピリ)
ドラム・パーカッション
上村計一郎
15歳でドラムを始める。ジミー竹内氏の演奏に触れ、そのドラミングに感銘、ジャズ・ドラマーとなることを決意する。19歳で地元福岡にて演奏活動を開始。21歳で上京後、ジャズを中心にジャンルにこだわらず様々なフィールドで活動する。 これまでの主な参加バンド、共演ミュージシャンはトム・ピアソン・オーケストラ、TOKYO GRAND ORCHESTRA、榎本秀一、林栄一、のなか悟空、庄田次郎、沖 至、サーカス、小柳ルミ子など。現在、自身のグループ「鶴屋管弦楽団」を主宰の他、舞踏とのコラボによる新境地への挑戦など、意欲的な活動を続けている。
作曲・ピアノ
矢田イサオ
長崎市出身。
幼少よりクラシックピアノを学ぶ。
高校時代、YMO,クラフトワーク、Japan等、テクノ・エレクトロ・ニューウェーブの洗礼を 受ける。もりばやしみほ(hi-posi)、fredy(applehead)とユニット「コンプレックス」を結成。 各種コンテスト、イベントに出演、オリジナル楽曲で入賞するなど、頭角を現し始める。 大学在学中に軽音楽部に所属、ジャズ・フュージョンに傾倒。 バンド「ハーバーライツ」のキーボーディストとしてニューオリンズ・ジャズフェスティバルに 出演。福岡市で行われた第7回イムズ・ジャズバンドコンテストにて、全国応募の中 グランプリを獲得、CD『SPAIN』をリリース等、演奏活動に没頭する。 1992年より上京、船山基紀氏の下で作編曲を習得。 野口五郎氏他のレコーディングセッションに、ピアニストとして参加。 帰郷後、数多くの九州各地のCM、CMソング、イメージソング、よさこい楽曲の制作や、 CMナレーション等、様々な制作活動にマルチに携わっている。 現在プレイヤーとしても、ラテンバンド「Pinto con Pintura」のキーボーディストとして 活動を続ける他、全国各地でのライブに出演中。 福岡SBホークスで活躍中のデスパイネ選手の入場曲「デスパイネ」を制作提供、 福岡とキューバ共和国の架け橋として、精力的に活動している。 また、もりばやしみほ(hi-posi)とのユニットのレコーディングが進行中の他、 さらに、DTM(デスクトップ・ミュージック)で培ったノウハウを活かし、着メロ・着ボイス・ スマートフォンアプリの効果音等、音楽のみならず様々な「音」を創る、 「音の錬金術師」である。
主な作品
■Pinto Con Pintura シングルCD「デスパイネ」(SBホークスデスパイネ選手チャリティ)リリース(編曲・制作)
■Bow&Arrow「Feeling Heart」(福岡市障がい者週間記念の集いテーマソング)(作詞作曲編曲・レコーディング)
■水巻町キャラクター「ミズマロ体操」編曲・レコーディング
■Pinto Con Pintura 2ndCD「TOCORORO」201804リリース(作詞作曲・編曲・演奏)
■Pinto Con Pintura 1stCD「HaBaNa Club」20150517リリース(編曲・演奏)
■ベツダイアイランド2014オープニングムービー音楽(作曲編曲)
■城島後楽園ゆうえんちイメージソング(作曲編曲)
■P-ZONEイメージソング「おねつをあげて」(編曲)
■エレナCMソング「象が飛んでいた」(作曲編曲)
■天神いのり「恋するCMYK」(編曲・レコーディング)